鬼おろし 完成された美

 人間が食べるのが大根おろし、鬼が食べるのではないかというほど荒いのが鬼おろし。大根おろしとは全くちがう独特の食感で私はやみつきになって久しい。

 鬼おろしが大好きで、ともかくよく食べる。とりわけ大根の鬼おろしと豆腐は年中食べている。ついでに言うなら、もうひとつ酒粕。一に豆腐、二に酒粕、三に鬼おろし、この三品が私の命の源である。

 

 さて、鬼おろしだが日本の調理器具として相当古い時代からあったに違いない。少なくとも大根おろしよりは数段古いものだろう。今どきあまり使っているという話も聞かないので、これは絶滅危惧種ではなかろうかと思っていたが、現用のものがだいぶへたってきたので新調しようとネットで調べてみると、結構沢山でてきたのに驚いた。

 なんと金属製の鬼おろしというのも販売されている。おそらく古くからある竹製の鬼おろしで力ずくで破壊したような食感とは大きく異なるように思うが、自分は使ったことがないのでわからない。

 手元の5年使った鬼おろし、取ってがゆるんできた。結構な頻度で使っているのでくたびれても当然、高いものではないので買い替えようと思ったが、悪い癖の「もったいない」。直せばまだ使えそうなので、一端取っ手を丁寧に外して古い接着剤をはがして再接着した。

手にとって見ているうちに、その造形美に改めて気づいた。機能をとことん突き詰めていくと一切無駄のない美しい姿が生まれるのだ。デザインのかかわる余地などない。

 道具は使う人々の手で育てられ、輝きを増していく。デザイナーもデザインという言葉すら

ない時代、こうして磨かれてきた日本古来の暮らしの道具の中にも、日本の美の原点が多々宿っているように思う。