一冊の本

 普段は禅の本と雑学の本が殆どだが、たまに本屋に立ち寄るといくつかの本を手に取ることもある。極論は承知だが、これはという本に出会うことは本当に稀なことで、売らんかなの本や中味を水増ししたような本の氾濫にただ驚くばかりだ。

 

 良書に合うのはますます難しくなっているような気がしている。私にとって本屋というのは情報の陳列屋さんで、良い本屋さんは店の主の思考が反映され、本屋ごとに個性があったものだ。そんな小さな本屋はどんどん少なくなっている。

 

やむなく本はネットで求めているが、これは半ば内容を想像して買うしかないのでいわば博打のようなものだ。

 漆芸家、赤木明登さんが「工芸とは何か」という新しい本を出した。赤城さんについては人気者なのであえてここで紹介することもあるまいと思うが、私にとっては昔楽しく一緒に仕事をした仲間でもある。なかなか多才な人で、近年はオーベルジュをやったり、小さな出版社を初めたり広く活躍している。いつも原点から発想できる数少ないプロデューサー工藝家だ。

その本8500円也と知って一瞬躊躇したが、震災の見舞いも兼ねてと思い購入した。

対談が主体の本なのでどこからでも読み始めることができる。たまらなく面白い。

対談も数多く読んだり体験したりしてきたが、出版物ともなると明らかに手が入って行儀よくまとめられてしまうのが通例だが、この対談は光景が目に浮かぶようにリアルなのだ。

直球のぶつかりあい、相手は不快になるのではというシーンもそのままに描き出されている。

すっかりつかまり、短時間で通読してしまたった。

 

みんな「美」と戦いながら輝いて生きている。なんと素晴らし人たちなのだろう。私にとっては久々に価値あるコンテンツとの出会いがなんとも嬉しい一冊である。

 

今年続編二冊が刊行予定とのこと、いまから楽しみだ。

 

びっくり納豆

納豆1800円と聞いたらどう思います?

ちなみに私が地元のスーパーで日頃買う上等の納豆が二つで200円前後だ。但しこのカップ入りの納豆は一個40グラムなので二つで80グラム。1800円と書いている納豆はなんと500グラム入りなので、単純に考えれば決してベラボーに高価なものではない。

 

 この納豆、出会いを後悔するぐらい旨い。正直なところ、豆腐の味には徹底的にこだわってきたが、納豆の味にはそれほどのこだわりが無かった。普段食べている鎌倉山納豆は十分に美味しいし、時々奮発して求める丹波の黒豆の納豆に至っては、それだけて十分に酒が楽しめる。

 

 さてこの納豆、蓋を開けた途端に香りがただものではないことに気づく。次にそこらの納豆の倍はあろうかという巨大な大豆に驚く。一口つまんで、その食感が姿に似合わずとても優しいことに驚く。辛子もタレも薬味も要らないうまさがなんとも言えない。

説明書によれば稲わらやマコモの葉など自然の植物に住む天然の納豆菌だけで発酵させるとあるが、要は昔の納豆そのものということだ。

 

 私はたまたま藤沢のとあるマルシェのイベントで出会ったのだが、納豆を作っているのは大阪のらくだ坂納豆工房というお店で、2021年創業というのだからまたびっくり。

送料もあり、気軽に取り寄せというわけにいかないが、自慢の窯で焼くこいつの納豆ピザは想像を絶する旨さが見えるようだ、我が家の人寄せ企画の定番の一品となるかもしれない。

 

もみじの花

我が家の新緑の代表はもみじから始まります。

もみじの花って知ってますか、気付かないほど小さく可愛らしい花ですが、楽しめるのはほんの僅かな間です。


灌仏会 誕生仏

4月8日 今日は灌仏会(かんぶつえ)といってお釈迦様の誕生日を祝う日だ。「花まつり」といえばご存知の方も多いかもしれない。

 毎年4月になると写真の誕生仏をひっぱり出してきて飾ることにしている。

誕生仏というのはお釈迦様が生まれてすぐに立ち上がり、右手で天を指し、左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えたという話がある。その姿を仏像に表現したのが誕生仏である。

 誕生仏というは古くから作られているが、不思議なのは誕生仏といえば申し合わせたようにスリムで美しいプロポーションのものが殆どで、およそ誕生したばかりとは、ほど遠いイメージなのだ。

 随分昔、とある展覧会でこの誕生仏に出会った。これこそ正に仏縁というものだ。以来我が家の4月を飾る定番となっている。世の誕生仏とは趣が異なるが、誕生仏というからには生まれたての赤子のような雰囲気がほしいというのは私の頭が硬い故かもしれない。

それにしても、世の誕生仏というのは何故あれほどにスリムなのだろうか。言葉が悪いのは承知だが、見ようによっては栄養失調の子供のように見える。

そうは言っても名作といわれる誕生仏は、そんな野暮な見方を許さない気品と格調にあふれている。いわば神の子のようなものだから、神々しい美しさを求めての結果なのかもしれない。

 お釈迦様は実在の人物なので、やっぱり人間味がほしいというのは、私の我儘なのかもしれない。