感謝のかたち
箱を開けると、びっくりするほど大きな干し柿がたくさん。添えられたカードには何人もの感謝の言葉で埋まっている。
私がお手伝いしている、とある仲間たちからの贈り物である。
大きさがわかるようにと、懐紙を敷いて写真を撮ってみたが、あまりに巨大で干し柿に見えないかもしれない。
久々に贈り物の心に接したような気がして心を動かされた。この干し柿の形をした、みんなのありがとうに嬉しさが込み上げてきてとまらない。
カードには干し柿合宿をやって、みんなで心をこめて作りましたとある。
なにもかもお金という尺度が横行しているご時世、豊かな暮らしをしている彼らは高価な贈り物とて決して難しいことではないし、忙しく暮らす人たちにとってそれもやむなき手段であるはずだ。
そんな時代に、心を届けるということは決して簡単なことではない。贈り手の心がこれほどまでに受け手の心を動かす事ができるのだろうか。
精一杯の感謝とともに、しばしの間この干し柿を見つめている。
感謝というのは、この世で人間だけがもつ徳にちがいない。日々の暮らしの中、あらゆる出来事に感謝が湧き出してくる。それを伝える方法は様々でも、感謝こそが人類の和の原点の様な気がしてならない。