小さな木工

枕元の時計を新調した。

 選定基準は、まず年寄りの目でも見やすいこと、本当はアナログ時計が好きなのだが、カレンダーもほしいとなると選択肢はデジタルに絞られる。更に室温と湿度もできれば知りたい。

そして、できる限り美しいデザインのもの、と言っても機能を要求する限りデザインは二次的な基準にならざるを得ない。いくらデザインが素晴らしくても、正確でない時計は役にたたない。

 さて、選んだのが写真の時計だが、概ねすべての希望はかなえられているのだが、一点だけ不安要素がある。それは電池ではなく、コンセントからの電源を必用とするということで、なんらかの理由で停電になると即刻使用不能となり表示すらできない。

 このあたりは利便性とのトレードオフであるが、昔と違って今は家の中に時計は山ほどあるので一つ動かなくても、困ることはなにもないだろう。それより、文字表示の明るさを変えられたり、表示色も好きに設定できて、とても気に入っている。

 


 ただ、我慢ならぬのが置いた時の角度で、若干後ろに傾斜するのだ。

色々な場所に置かれることを想定して角度をデザインしているのだろうが、真っ直ぐのほうが美しいし、見やすい。理屈ではなくただの好き嫌いの問題であろう。

 たどり着いた解決策は、小さな台を作って、ほぼ垂直に置けるようにすればよいということだ。小さな板を3ピースに切ってボンドで接着して、ハイ完成である。小片とはいえローズウッドという貴重な板を使っているので、摺り漆で数回仕上げ、あえてしっとりした表情を意図した。

底にはテーブルを傷つけないように薄いフェルトを貼ってある。一段格が上がったようで至極満足している。

一平茶道 仲間や客人への一服

 数年前に写真の茶卓、名付けて楽卓(らくじょく)を作った。なにより楽しいことが大好きなので楽しくなるテーブル「楽卓」と安易な名をつけただけで大層な意味があるわけではない。

この卓を作った目的は、仲間や客人に手軽に一服のお茶を差し上げたいというのが原点だが、だからといって、正式な卓は大きすぎて置き場所がない。「無いものは作る」これが我が木工道である。

 

 茶道をたしなむ方は、立礼卓(りゅうれいじょく)という椅子に座って点前をする卓のことを想像されるかもしれないが、この卓はまったく似て非なるものである。

どこが違うかといえば、まず寸法が大きく異なる。この楽卓なるものは、私の勝手な寸法で作っており、正式な卓からすると、大きさが半分ぐらいのイメージだ。

ちなみに幅は72センチ奥行き50センチしかない。だから本式の卓のための点前には対応できない。

なぜこの小さなサイズになったかというのも単純で、この卓を置く場所は既に決まっており、限られた空間に合わせてどこまで小さくできるかが課題であった。

 設計は、最初から正式な点前など無視しているのだが、茶道の雰囲気をどう醸し出すかという部分に随分長い時間をかけた。

自分が長く陶芸をやってきたことから、焼締めの陶器で炉縁を作るということをまず決めた。茶道には季節によって冬場の炉と、初夏からは風炉と使い分けるが、この卓では私が炉が大好きという身勝手をとおして通年炉の景色を楽しむこととした。

 

 炉も茶道の世界では大きさ約42センチ(尺四寸)四方と決められているが、そんな基準に従うことはここでは論外だ。熟慮の結果、小ぶりな釜をかけるという前提で、寸法、深さを決定している。熱源は当初、炭も使えるようにと思ったが、手軽さを優先して電気とした。

最終的にこの卓の炉は31センチ四方という類例の無いサイズとなった。

 前述のとおり、本格的な点前に対応できないのは百も承知での開発だが、一方では、この卓を使ってのオリジナル点前、というより手順を考えながら設計しなければならないという事でもある。

ともかく世に無いものを作ろうというので、設計も制作も山程エピソードがあるのだがそれは後編でご紹介しよう。

(後編、制作よもやま話に続きます)

 

知られざる鎌倉の名所

 このところ降ったり照ったりの天気だが今朝は久々の快晴。気になっていた佛行寺のツツジを見に朝一番で家を飛び出した。素晴らしタイミングでツツジが迎えてくれたが、おそらくこの週末がピークであろう。

 そ場所は笛田山佛行寺。笛田公園から湘南深沢へ降りていく道の途中にあるのだが、不便な場所なのでちょっと観光にというわけにはいかない。そのせいか訪れる人は多くない。

 この時期、境内の裏山全山がツツジの花で覆われる。なんとも絶景だが、ツツジの花は短命なので盛はほんの数日ということになる。ツツジと言っても驚くほどの種類が植えられているので、すべてが同時に満開になるわけではない。おそらく咲き始めてから2週間近くは楽しめそうだが、これとて天気や温度にもよるので、あとは運のようなものだ。

 朝の散歩で、鎌倉山を縦横無尽に歩き回っていた時にたまたまこの寺を見つけた。ずいぶん前のことだが、未だに毎年ツツジと睡蓮やハスの花の季節に楽しませて頂いている。

小さな寺とはいえ、広大な敷地であることに変わりはない。ともかく境内隅から隅まで見事に掃除が行き届いていることに訪れるたびに関心する。

 

 我が家にもツツジがあって、毎年きれいな花を楽しませてくれるが、きれいに咲いてもらうには、それなりの手入れが必用だ。花が終わると花がら摘みと言って、咲き終わった花がらを一つ一つ、つまんで取るのだ。これを怠ると一面見事に花で覆われるということにならない。そして年に二度ほどの刈り込み。我が家の狭い庭だけでも大変なのに、佛行寺の立っているのも大変な斜面に咲くツツジの手入れは想像しただけで大変だ。まさか和尚ひとりの仕事ではないと思うが、花の時期のみならずいつ訪ねてもきれいで清々しい境内は、おのずと和尚さんのお人柄をうつしているい違いない。

 

ツツジを逃した方は睡蓮やハスの花の咲く6、7月の時期がおすすめだ。ちなみに、入山料は山門の賽銭箱に金100円也と書かれている。いまどき申し訳ないような気になるのだが、これもきっと和尚さんの人柄なのだろう。


一冊の本

 普段は禅の本と雑学の本が殆どだが、たまに本屋に立ち寄るといくつかの本を手に取ることもある。極論は承知だが、これはという本に出会うことは本当に稀なことで、売らんかなの本や中味を水増ししたような本の氾濫にただ驚くばかりだ。

 

 良書に合うのはますます難しくなっているような気がしている。私にとって本屋というのは情報の陳列屋さんで、良い本屋さんは店の主の思考が反映され、本屋ごとに個性があったものだ。そんな小さな本屋はどんどん少なくなっている。

 

やむなく本はネットで求めているが、これは半ば内容を想像して買うしかないのでいわば博打のようなものだ。

 漆芸家、赤木明登さんが「工芸とは何か」という新しい本を出した。赤城さんについては人気者なのであえてここで紹介することもあるまいと思うが、私にとっては昔楽しく一緒に仕事をした仲間でもある。なかなか多才な人で、近年はオーベルジュをやったり、小さな出版社を初めたり広く活躍している。いつも原点から発想できる数少ないプロデューサー工藝家だ。

その本8500円也と知って一瞬躊躇したが、震災の見舞いも兼ねてと思い購入した。

対談が主体の本なのでどこからでも読み始めることができる。たまらなく面白い。

対談も数多く読んだり体験したりしてきたが、出版物ともなると明らかに手が入って行儀よくまとめられてしまうのが通例だが、この対談は光景が目に浮かぶようにリアルなのだ。

直球のぶつかりあい、相手は不快になるのではというシーンもそのままに描き出されている。

すっかりつかまり、短時間で通読してしまたった。

 

みんな「美」と戦いながら輝いて生きている。なんと素晴らし人たちなのだろう。私にとっては久々に価値あるコンテンツとの出会いがなんとも嬉しい一冊である。

 

今年続編二冊が刊行予定とのこと、いまから楽しみだ。

 

びっくり納豆

納豆1800円と聞いたらどう思います?

ちなみに私が地元のスーパーで日頃買う上等の納豆が二つで200円前後だ。但しこのカップ入りの納豆は一個40グラムなので二つで80グラム。1800円と書いている納豆はなんと500グラム入りなので、単純に考えれば決してベラボーに高価なものではない。

 

 この納豆、出会いを後悔するぐらい旨い。正直なところ、豆腐の味には徹底的にこだわってきたが、納豆の味にはそれほどのこだわりが無かった。普段食べている鎌倉山納豆は十分に美味しいし、時々奮発して求める丹波の黒豆の納豆に至っては、それだけて十分に酒が楽しめる。

 

 さてこの納豆、蓋を開けた途端に香りがただものではないことに気づく。次にそこらの納豆の倍はあろうかという巨大な大豆に驚く。一口つまんで、その食感が姿に似合わずとても優しいことに驚く。辛子もタレも薬味も要らないうまさがなんとも言えない。

説明書によれば稲わらやマコモの葉など自然の植物に住む天然の納豆菌だけで発酵させるとあるが、要は昔の納豆そのものということだ。

 

 私はたまたま藤沢のとあるマルシェのイベントで出会ったのだが、納豆を作っているのは大阪のらくだ坂納豆工房というお店で、2021年創業というのだからまたびっくり。

送料もあり、気軽に取り寄せというわけにいかないが、自慢の窯で焼くこいつの納豆ピザは想像を絶する旨さが見えるようだ、我が家の人寄せ企画の定番の一品となるかもしれない。

 

もみじの花

我が家の新緑の代表はもみじから始まります。

もみじの花って知ってますか、気付かないほど小さく可愛らしい花ですが、楽しめるのはほんの僅かな間です。